アダルトチルドレンの人の魅力
アダルトチルドレンの魅力
アダルトチルドレンの人のブログを読んでいると、ユーモアがあったり、センスとか感受性の豊かさを感じます。
ネガティブなことを書いていても、繊細な文章に癒されます。
生まれる場所は選べないし、アダルトチルドレンであることが不運に感じることもあるかもしれないけれど、人を惹きつける独特の感性みたいなものを感じることがあります。
今も生きづらさに苦しんでいる毒親育ちの人は、自分の生い立ちを恨んでいるかもしれません。
だけどその生い立ちによってできた、人を惹きつける自分の魅力に、気がついていないような気がします。
自分の生い立ちと自分の魅力は、引き離せないのかもしれません。
辛い過去も含めて生い立ちは、自分にとって悲しいことばかりではないと私は思います。
不幸な星のもとに生まれた人
以前ゲッターズ飯田さんのツイッターで、”不幸な星のもとに生まれた人は、より大きな希望やラッキーなことに恵まれる”みたいなことが書かれていました。(かなりうろ覚えですが)
悲しいことがあっても希望を捨てないで、生きていればいいこともある、みたいな言葉は昔からありました。
だけどそんな言葉を見るたびに、私の人生はいつ振り返ってみても幸せだとは思えないと感じていました。
生い立ちとか、生まれながらに持っている性質とか、変えられない悲しいことは沢山あります。
その状態のどこに希望が生まれるのだろうかと思っていました。
けれど実際は、そんな絶望の中にも、生きる喜びを感じることもあったような気がします。
私は昔、かなり自暴自棄な生き方をしていました。
自分が無意味な存在だと思っていたから、自分を大切にする意識も低かったです。
大きなトラブルに巻き込まれてもおかしくなかったし、いま生きているのも少し不思議です。
今、過去を振り返ってみると、ラッキーなことに恵まれていたと思います。
生い立ちと自分の魅力
自分の生い立ちにとらわれた生き方はしんどいです。
生い立ちによって色々な生きづらさや苦しみがあるかもしれないけれど、それらを変えることができなくても、自分らしく生きることはできます。
だから機能不全家庭とか毒親とか、その部分に注目しない方がいいと私は思います。
それに生い立ちと自分の魅力は引き離せないんです。
アダルトチルドレンだからこその魅力ってあります。
傷ついた過去を抱えて、変えられない悲しいことの中にも、希望はあると今では思います。
傷つきながら、それでも懸命に生きている人の魅力って素敵だと私は思っています。