母親と合わない、分かり合えない悲しみから抜け出すには
母親と考え方が合わない
私は長い間、母娘の関係に悩んできました。
母と私は根本的に考え方が違い、それが原因で何度も衝突してきました。
衝突しても分かり合えません。
私にとって母と分かり合えないことは、絶望に近い感覚でした。
母が理解者でいてくれたら、母が味方でいてくれたら、辛いことも乗り越えていけるような気がしていたからです。
母が味方ではなかった場合、この世で一体誰が自分の味方になってくれるのだろうと思っていました。
母親にさえ愛されなかったら、自分はこの世で誰からも愛されない存在のように感じるのです。
ずっとそんなことを思っていた私ですが、今は母親の愛情を感じることができます。
今でも私は母親と合わないままだけど、分かり合えない悲しみは薄れてきました。
考え方が違っていたとしても、違いを認めることができたら、気持ちが楽になります。
合うかどうかよりも、違いを受け入れる気持ちがあるかどうかの方が大事かもしれません。
違っていていい、色々な考えがあっていい、母親と同じには、ならなくていいと感じます。
気がつかなかった部分
母は未だに私の色々なことに口を出してくるけれど、私はもう聞き流しています。
以前は母の発言の些細なことに腹を立てていました。
良かれと思って言っている母の発言は、私にとって不快なものでした。
何度もやめてと言っているけれど、やめることはできません。
この先も、やめることはないと思います。
だけど私が聞き流すことができるようになったのは、自分の気持ちを母に分かってほしいと思うことをやめたからかもしれません。
自分の気持ちを分かってほしいとか、相手に求めるのをやめたら、客観的に相手のことを見ることができるような気がします。
そうすれば、今まで気がつかなかった相手の部分が見えてきます。
母親が傷つけてくるとか、コントロールしようとするとか、分かってくれない部分ばかりに注目しない方がいいと思うのです。
母親から傷つけられてきた、だけどどこかに愛情もあったと感じる自分の気持ちに気がつくことが大事だからです。
自分の気持ちのすべてを母親が理解できなくてもいい
親から傷つけられた悲しい気持ちや、満たされない思い、苦しみは色々あるけれど、自分の気持ちのすべてを母親が理解できなくてもいいと私は思います。
子供は全力で親に気持ちをぶつけるかもしれないけれど、親もすべてを受け止めるのは難しいと私は思います。
母親に期待しすぎないことも大事です。
子供が母親に期待するのは、今まで母親の期待に応えようと、ずっと頑張ってきたからなのかもしれません。
私は自分の夢や希望よりも、母に愛されたいという一心で頑張ってきました。
それが大人になって、色々な苦しみとなりました。
生きることが虚しくて、どうしようもない孤独感に苦しみました。
私の苦しみが、母には理解できませんでした。
私の苦しみなんて、母にとってはどうでもいいことだと思っているように私は感じました。
だけど母は子供の気持ちが本当に分からなかっただけなんです。
それは子供を苦しめようと思って育てたわけではないからです。
子供を大切に育ててきたという母親の思いがあるのかもしれません。
母親と分かり合えなくても
母親が分かってくれなくても、母親は自分の味方ではないと感じていたとしても、それが事実かどうかは分かりません。
自分が気がついていない、見えていない部分があるかもしれないと私は思っています。
自分のことを分かってくれる、理解してくれることだけが味方とは限らないです。
母は未だに私の気持ちを分かってくれないけれど、母は確かに私の味方だと感じることができるからです。
母親と分かり合えない、それでも大切な存在で、その思いはお互いに感じるのです。
母親が分かってくれない部分にばかり注目しない方がいい、考えが違っていてもいい、自分らしい親子の関係が築けたらいいと感じます。