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アダルトチルドレン、毒親育ちを克服したブログ 一人で苦しみを乗り越えようと思うことをやめる

普通に生きるのが難しいアダルトチルドレン

普通に生きるのが難しい

私は毒親育ちだと自分では思っていて、生きづらさを克服できたと感じるのですが、普通に生きることの難しさは今でも感じます。
人と良好な人間関係を自然に築いている人とか、友達がいる人とか、すごいなと思います。

私には今のところ仲間はいますが、そこになんとしても所属したいという思いが、時々空回りしています。

自分の居場所を失いたくない、そんな必死な思いが自分を追いつめているときもあります。

私の性格は普通じゃないのに、普通を装って生きています。
生きづらさを克服したら、普通に生きられると思っていました。

だけど生きづらさを克服しても、普通に生きる難しさは変わりません。

生きづらさの克服とは、普通に生きられるかどうかではなく、自分の現状を受け入れることができるかどうかだと私は思っています。

長年にわたってできあがった自分の生き方というのは、そんなに簡単には変わらない、そのことを痛感しています。

気を張っていないと生きていけないような気がします。

気を抜くと、足元が崩れ落ちるような気がします。

気合を入れないと外にだって出られない。

こんなことを書いたら、今でも生きづらいように見えます。
だけど、自分の生き方や人生を悲観する感情はほとんど無くなりました。

アドラー心理学では、自分が外に出たくないという目的を果たすために、人が恐いからとか理由をつける、傷つきたくないから、色々な理由をつけて行動しようとしない、みたいなことが書いていました。

その通りなのかもしれないけれど、結構厳しいなと私は思いました。

いいじゃないか。
傷つくことが恐いから、行動できないとか。

傷つくことが恐いから、外に出られないとか。

傷つくことが恐いから、一人がいいとか。

自分の心を必死に守りながら、なんとか生きている。
今この瞬間を懸命に生きている証拠だと思うのです。

自分の不安を否定しなくていい、色々なことを恐れながら、それでもなんとか生きていこうとするのって立派だと私は思うのです。

私自身は依存の傾向があって、だいぶ落ち着いてきたけれど、少し自己破滅的でした。

依存はあまり好ましくない症状なのかもしれないけれど、何かにすがりつくことで、なんとか生きてこられたような気がします。

そして、症状は”恵(めぐみ)”です。どんな症状も、その人なりに工夫した独自の治療方法であり、防衛方法です。
ありうる限りの知恵をしぼって、自分の頭と身体が懸命にディフェンスした結果、なんとか生きている。
自己流だからいろいろと問題はあるかもしれませんが、それを症状と呼んでいるのであって、じつは症状こそが患者さん自身を守り、救っているのです。

うつ病になれた人も、そのおかげで人生にちょっとタンマがかけられた。…アルコール依存症の人は、アル中になっていなかったら、とっくにうつ病になり、やがて自殺していたでしょう。アル中になれたおかげで生き延びたと感謝してもいい。
むやみに症状を悪者扱いして撲滅すればいいというものではありません。

引用元:斎藤 学『「毒親」の子どもたちへ』

死なないために、自分の心を守るために、必要なことってあると思うのです。それが一見好ましくない症状だとしても。

色々な症状が自分の心を守っているときだってあります。

無理に変わろうとしなくても、自分を受け入れることができたとき、色々な症状も自然に落ち着いてくるのかもしれません。

少なくとも、普通に生きられないことを悲観する感情は薄れてきます。

そもそも人は不完全な生き物ですから、すべてにおいて普通の人ってこの世にいるのでしょうか。

目指して行く方向は自己解放だと思います。親からの解放ではなく、自分で自己を解放する。
自己解放とは何か。平たく言えば、”居直り”でしょう。
「私はこうですけど、それが何か?」
「私はこれでいい、まぁまぁよくやっている」
「完璧とは言えないかもしれないが、これからも私のやり方でやっていけばいい」

このように自己肯定できるようになることです。

引用元:斎藤 学『「毒親」の子どもたちへ』

傷つきながら、恐れながら、もがきながら、普通には生きられない。それでもなんとか生きている自分を受け入れることが大事だと私は思っています。