毒親に復讐したいと思ったら、自分の味方を見つける
毒親に復讐したいと感じたら
毒親育ちで苦しんでいる場合、毒親に復讐したいと感じることがあるかもしれません。
復讐といえば恐い響きですが、やり場のない怒りの感情だと思います。
毒親育ちであることが、どこまでも自分を苦しめる、抜け出すことのできない悲しみがあると思います。
私も毒親育ちだと自分では思っていて、今は立ち直ったと感じますが、かつては親を恨んでいました。
子供が抱える怒りや悲しみを、毒親が理解することはありません。
子供らしく生きる自由を奪われてきて、自分で選択する機会も奪われて、否定されて支配されて育てられた子供が大人になって、その後どんな苦しみを抱えて生きていくか、私は分かります。
毒親に復讐したいと思う気持ちが理解できます。
だけど実際に自分の思うように親に復讐してみて、どんな結果になるのかも、なんとなく想像できるのではないでしょうか。
自分が苦しいのは親のせいだと思う感情が、親への強い怒りになっていると思います。
その怒りを親にぶつけないと気が済まないと思いますが、親に復讐することで、前を向いていけるかは分からないと思うのです。
逆に、親に復讐しなくても、前を向いていける方法があるかもしれません。
復讐して本当に気が晴れるか
復讐したいと思う原因があると思うのです。
それは、自分自身の人間関係がうまくいっていないことも考えられるかもしれません。
逆に自分自身の人間関係がうまくいっていた場合、親からひどい目にあっても、自分の味方がいる、自分の理解者がいると思えると前を向いていけるような気がします。
自分の味方がいる、自分の理解者がいることが大事だと私は思います。
毒親育ちの場合、味方がいないとか、周りは敵ばかりとか、そんな状況が多いかもしれません。
自分が敵だと思っている人は、本当に自分の敵なのだろうか。
敵じゃない人のことまで敵だと思っていないだろうか。
そんな世界で生きるのはとても苦しいと感じます。
それが復讐したいという思いに繋がるのではないだろうかと思うのです。
親を許さないと思うと、許せない事実ばかりを集めます。
だけど親から傷つけられた思い出ばかりではないはずです。
いい思い出だってあると思うのです。
親はどこかに愛情もあった
私は以前に、ひどい虐待を受けた人の記事を読んだことがあります。
虐待を受けてきたけれど、優しいところもあった、遊びに連れて行ってくれた時もあったし、いい思い出もあったと書いていました。
そのいい思い出で、虐待した行為が許されるわけではないけれど、親はどこかに愛情もあったと信じる事実にはなるのではないだろうかと私は思うのです。
親に限らず、自分が人から愛されて生きていることに気がつくことも大切だと私は思います。
優しい人は必ずいる、身近にいる、自分のことを大切に思ってくれる他者の存在を感じることが大事です。
私は自分が生きているだけで精一杯のとき、人の善意を無視して生きてきたと感じます。
自分の苦しみが感情を支配していて、人に対して不誠実に生きてきたと思います。
それでも優しい人がいた、私を支えてくれた人がいたと、今思い返してみたら気がつくことができます。
自分自身が築き上げる人間関係を大切にしていたら、もっと楽に生きていけたような気がします。
復讐は自分のために、やめといた方がいい
復讐はとりあえずおいといて、自分の味方を見つけることを優先したらいいかもしれません。
自分の生い立ちを理解されなくてもいいと私は思います。
一緒にいたら元気が出るとか、落ち込んだ時に励ましてくれるとか、そんな人がいるだけでも前を向いていけるかもしれません。
自分の味方を見つける最短の方法は、自分が誰かの味方になることだと私は思っています。
そのために、好きな人を見つけることが大切だと思います。
また人の性格で良いところを見つける、それは実は自分自身が持っている、良いところである可能性が高いです。
逆に人の性格で嫌だなと感じる部分は、自分自身が持っている嫌だなと感じる部分かもしれません。
だからこそ、人の嫌な部分よりも、人の良い部分を見ていくことが大切です。
人は不完全な生き物だから、欠点や足りない部分を見たらキリがないです。
そのなかで、人のいいなと思う部分に意識を向けることは、自分が持っているいい部分に意識を向けることになると思います。
それは自分を好きになることにつながると感じます。
そうすれば、自然に復讐心も薄れてくるかもしれません。
一人で苦しみを抱えていると、色々な憎しみの感情が出てきます。
自分のことを大切に思ってくれる他者は必ずいる。
毒親に復讐しなくても幸せになれる可能性を信じること、そのために一人で苦しみを乗り越えようと思うことをやめることが大切だと私は思います。