毒親育ちの後遺症 -生きづらい苦しみをどう手放していくか-
毒親育ちの後遺症
毒親育ちを克服した人の記事を読んでいると、克服した後でも、やり場のない悲しみや怒りが文章から感じることがあります。
私も毒親育ちだと自分では思っていて、立ち直ったと感じるのですが、後遺症みたいなものは残っているような気がします。
普段は大丈夫だけど、時々どうしようもなく切なくなる瞬間もあります。
心穏やかな時と、心が不安定な時があるのですが、それは自分自身の人間関係が影響していることがほとんどです。
誰かと楽しい時を過ごした時は、毒親育ちのことなんて忘れています。
趣味とか一人の時間が楽しいのも、人間関係で悩んでいないときです。
だけど誰かとうまくいかないと感じた時は、色々なことが切なく感じます。
毒親育ちだから人間関係がうまくいきづらい、そういう思いがでてくるときもあります。
私は未だに、人との距離感がよく分かっていないような気がします。
昔は、近づき過ぎてうまくいかなくなった時、すぐに人から離れることを繰り返していました。
もういいやと思って人と距離をとることを、何度も何度も繰り返してきて、それが結果的にさらに生きづらさを招いていたと思うのです。
だけど最近は人とうまくいかないと感じても、少し落ち着くとか、結論を急ぎすぎないとか、簡単に人から離れることをなるべく減らそうと努力しています。
自分の心が落ち着くまで時間はかかるし、納得いかない時もあるけれど、すぐに結論を出さなくてよかったと思うことは多々あります。
どうやって毒親育ちを克服するか
毒親育ちで苦しんでいるときは、フラッシュバックも酷かったです。
私は親と一緒にいると自分の精神が壊れるような気がして、距離を置いたことがあります。
距離を置くことで親との関わりは減るのですが、親と関わらなくても親に傷つけられた過去が私を苦しめていました。
何をしても虚しくて、毎日がしんどくて、息苦しくて、親から離れても生きづらいのです。
自分の生きづらさは親が原因だと思っていたときが、私は一番親を恨んでいました。
親を恨んでいると、親に傷つけられた記憶ばかりを思い出します。
過去をどうすることもできないのに、過去のまま流すことができませんでした。
だけど親と距離を置くと、自然に自分自身の人間関係に意識が向きました。
親を頼りにしないで生きていく決心をすると、頼りになるのは自分が築き上げる人間関係です。
それがなかなか上手くいかなくて、そもそも親と良好な関係も築けないのに、他者と上手くいくことが難しいんです。
それでも寂しくて、苦しくて、それが誰かといると少し和らいでいたのです。
おしゃべりが盛り上がったとか、笑顔を交わすとか、些細なことだったけど私を元気づけていました。
私の寂しさも苦しみも何も知らない誰かが、私を癒していました。
自分の苦しみを他者が理解できなくてもいい、それでも他者に勇気づけられていました。
生きづらさから立ち直った今思うことは、生きづらさは、自分を否定する感情や、人を拒絶する感情だったと思うのです。
人を恨む感情や、自分を否定する感情が薄れてきたとき、自然に自分の苦しみも減ってきました。
何もかも親が悪かったと考えると、なかなか親への怒りの感情から抜け出せません。
その怒りは、色々な苦しみを自分に引き寄せます。
自分の苦しみも怒りもいつか手放せるときがくるかもしれない、そのために、親が全て悪かったと結論付けなくてもいいと私は思います。
そして人との関わりを軽んじないことが大切で、自分の傷を何も知らない誰かが、自分の傷を癒していることもあります。
人との時間を大切に思うことが、自分の苦しみを手放すことにつながることもあります。
親への感情の変化
生きづらさから立ち直ってくると、親への感情も変わってきました。
親と分かり合えないことは変わらないけれど、色々な親子の形があると思うことができました。
親も必死だった、懸命に私を育ててきたと感じます。
それでも今も毒親育ちの後遺症みたいなものはあります。
切なくなるし、息苦しくなることは多々あります。
健全な家庭環境で育ったら、もっと違う人生があったのだろうかと思うこともあります。
だけど自分の苦しみも悲しみも、否定しなくていい、弱さを抱えたままでも前を向いて生きていける、そう感じるようになりました。
苦しみはいつか手放していけるかもしれない、そのために、自分を否定しないことが大事で、人との関わりを大切にすることが大事、私はそう思うのです。