悩みが無さそうに見えるアダルトチルドレン -だけどピエロには涙が-
明るいアダルトチルドレン
私は幼少期の家庭では道化師の役割でした。
両親の夫婦喧嘩は頻繁にあったし、私は自分のことを残念な子供だと思っていたから、自分が家庭に居場所を得るために、いつもおどけていました。
それは自分の人間関係でも同じでした。
自分のネガティブな部分や暗いところを人に見せないように、過剰におどけていました。
私は自分の生い立ちを人にほとんど話さないので、私が毒親育ちだと知っている知人は、ほぼいません。
だから、悩みが無さそうとか、明るいとかよく言われていたのですが、言われるたびにホッとしていました。
自分のダークな部分を知られたくないという思いが強かったです。
そして、本当の私はつまらない人間であることを、誰かに見破られるのを恐れていました。
ピエロには涙が
道化師という言葉を調べたら、ピエロには涙マークが付いていると書いていました。
涙が付いているのがピエロ、知りませんでした。
ピエロの涙の意味は色々ありますが、馬鹿にされてまで愛されたい、だけどそこには悲しみがともなう、そんな感じです。
切ないですが理解できます。
笑っているけれど、本当は心の中で傷ついている、それは誰にだってあるのかもしれませんが。
悲しみを隠して気丈にふるまうことに苦しむこともあります。
そんなことやめた方がいい、悲しいときは素直に悲しんだ方がいいのだと思います。
人を馬鹿にして笑うことも、馬鹿にされて笑われる状況を自分で作ることも、やめた方がいいんです。
上手に生きられない
昔は自分がアダルトチルドレンであることに自分で気づいていなかったので、訳が分からないまま生きづらさを抱えて生きていました。
だけど今は、自分がアダルトチルドレンであることに気がついて、自分のおかしさを自分で自覚しています。
だからなのか分からないけれど、人付き合いがまたよく分からなくなってきました。
私は普通じゃないのに、普通に人付き合いができるのだろうかと思うのです。
誰かといても、私は場違いじゃないのかなとか、ここに一緒にいていいのかなとか、普通じゃないのに普通の人といていいのかなって思います。
訳が分からなかった時の方が、もっと無神経だった、周りが見えていなかった、自分のことをおかしいと思っていなかったから、図太かったです。
自分のことをおかしいと自覚したら、さらに上手に生きられなくなってきました。
本当の自分の姿
もうおどけて生きていく必要なんてない、そう思うのだけど、本当の自分の姿もよく分かっていません。
道化師が道化師をやめたら、どうやって生きていくのだろうか。
おどけていない私は暗いような気がします。
おどけていない私は、私じゃないような気がします。
おどけることで自分を保ってきたのか、おどけることをやめたら私に何が残るのだろうか。
だけど、おどけることは悪いことばかりではありませんでした。
みんなで笑いあって、楽しかったんです。
人は、傷ついている人を馬鹿になんかしない。それを信じることができたら、ピエロから抜け出せるような気がします。
自分自身のことも、白黒はっきりさせなくてもいいのかもしれません。
答えが出ないのなら出ないままで、自分自身が分からないのなら分からないままで、だけどいつか、これでいいと自分の心が軽くなる瞬間も訪れるような気がします。
自分の心が軽くなったらもっと自由に生きていけるのだろうか。とりあえず今は、おどける自分のしがらみから、少しずつ抜け出していこうと思うのです。