毒親育ちで帰る実家がなかった
私には帰る実家がなかった
今年も正月がやってきます。
昨年の今頃はこんな記事を書いていました。
正月、GW、お盆どころか、365日帰る実家はない
365日帰る実家は無いけれど、前向きに生きていけます、というような内容です。
私は昨年まで親と絶縁していたので、親と再会してから初めての正月になります。
今年のお盆(8月)は断わっても断わっても実家に帰ってきてと言われ続けて、兄夫婦も交えての帰省になりました。
私の実家で、私はずっと幼少期から邪険に扱われていたと感じていましたが、私は冷え切った家庭の盛り上げ役だったので、道化師として必要とされていました。
子供は自分の役割を演じて、なんとかして家庭で自分の居場所を確保しようとするのだなと実感しています。
絶縁して、毒親育ちから立ち直って、そしたら道化師の役割なんて嫌だと、心底思ったんです。
だけど冷え切った家庭で、なんとか明るく盛り上げようとすることって、苦しいことばかりではなかったのです。
家族が笑ってくれることが嬉しかった、損な役回りではありませんでした。
私はこんなことをしないと、家庭に置いてもらえないと思う感情が苦しかったのだと思います。
何もできなくても家庭で必要とされない存在なんて無い、私は今はそう思っています。
今回の正月は
正月は帰省します、兄家族もたぶん一緒、でも気分はそんなに憂鬱ではないです。
母はずっと兄を可愛がっていました。
兄夫婦に子供が生まれて、母は兄の子供が可愛くて仕方がない様子でした。
私が去って、可愛がっていた息子と孫が残り、母は満足すると私は思っていました。
私のことは綺麗に忘れて、最初からいなかったかのように、兄の家族と幸せな老後になると思っていました。
だけど母は、去っていった私をなんとか取り戻そうと必死でした。
今でも不思議です。
それと同時に、私はどうしてあんなにも母に愛されることに執着していたのだろうと思うのです。
たとえ母に愛されていなくても自分らしく生きていける、そう思えたら親との関係はかなり変わってきました。
道化師の今
道化師は今では逆に腫れ物のように扱われています。
なんか私はいつまでも問題児です。
だけどいいんです、そんなに理想的な家族にならなくて。
いびつでも、歪んでいても、どこかおかしくても、それでもいいと感じるようになりました。
昔はこの家は狂ってると思っていたけれど、長いこと感じていた歪みは少しずつ、気にならなくなってきました。
無理だと思ったらいつでも飛び出したらいいだけですしね。
以前はずっと我慢して飛び出さなかったから、しがらみから抜け出せませんでした。
自分を犠牲にして無理に自分の居場所を作ろうとしなくても、自分の居場所はどこにでもあると思うことが大事だと思います。
自分のことを大切にしてくれない場所に執着しない方がいい、すぐに飛び出さなくてもいいかもしれないけれど、自分を犠牲にしていたらいつまでも抜け出せないような気がします。
自分が自分らしくいられる、自分が大切にされる場所はある、だけどもっと大事なことは、自分が誰かを大切にする場所を作ることだと私は思っています。
楽しい正月を
どんな場所でもいいお正月を迎えることはできると思っています。
みなさま、一年間ありがとうございます。
そして来年もどうぞ宜しくお願い致します。
よいお年をお迎えください。