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アダルトチルドレン、毒親育ちを克服したブログ 一人で苦しみを乗り越えようと思うことをやめる

親に愛されたかどうかよりも大事なこと -自分を大切にする生き方とは-

親に愛されているかどうか、ずっと苦しんできた

私は母親から大事にされていないと感じて、ずっと苦しんできました。

母は私よりも兄のことをずっと可愛がっていて、兄弟差別は親戚からも受けていたから、そのたびに、やっぱり私はダメな存在だと感じていました。

自分を否定していたから、自分を否定する事実ばかりを集めて傷ついていました。
私自身を見てくれる人もいたのに、というかほとんどの人は私自身を見てくれていたのに、私はずっと自分を否定して生きてきました。

親に愛されているかどうか、長い間ずっと苦しんできたのだけど、立ち直った今は、親に愛されたかどうかよりも大切なことがあると感じます。

自分が人を愛することの方が大事だと今は思います。

どんな育てられ方をしたかよりも、自分が人を恨まないこと、人に心を開くこと、人を好きになることの方が大事だと思っています。

愛情不足や毒親育ちで苦しんでいる場合、人を恨んでいて、人に心を閉ざしていて、人を嫌っていることが多いのかもしれません。
それが生きづらさの原因だと私は思っています。

親に大事にされなかったら

親に大事にされなかった人は、人からも大事にされない、そう感じることは多々ありました。

だけど人に軽くあつかわれると感じるとき、自分も人を軽んじていることが多いと私は思っています。

私自身がずっとそんな生き方をしていました。
些細なことで傷ついては人を責めて、人の優しさに気がつこうとしていませんでした。

私を大切に思ってくれる人なんていないと思っていたのかもしれません。

人を愛する心は、恐らく誰だって持っている

傷つき過ぎて自分の心に気がつかない人はいるだろうけど、誰だって人を愛する心を持っていると私は思っています。

自分を否定していると、人が自分を軽くあつかう事実ばかりを集めます。

誰も助けてくれないとか、人は裏切るとか、それがすべてだと思わないことが大事で、人が自分を裏切るかどうかよりも、自分が人を裏切らないことの方が大事です。

人が自分を認めてくれるかよりも、自分が人を認めることの方が大事、そう思えたら、生きることが楽になってきたような気がします。
それって無理してない?と思われるかもしれませんが、人に認めてもらうことを求めていたときの方が、よっぽど無理をしていました。

私を受け入れてほしいとか、愛してほしいとか、見捨てないでほしいとか、そう願っていたときの方が、必死だったし、苦しかったです。

人に見捨てられないか、いつも不安でした。
人から嫌われることを恐れて人の顔色を伺い、そのままの自分を出せなったし自分を偽っていました。

人に嫌われるかどうかよりも、自分が人を嫌わない事の方が大事で、自分が人を愛することに意識を向ける方が、自分らしく生きていけると私は感じます。


人が好きだと思うと、自分を助けてくれるとか、自分を大切に思ってくれる他者の存在に気がつくことができます。

それは自分を大切にすることにつながります。

自分を大切にするとは、人を愛することだと私は思っています。

母親の愛情はもちろん大事

母親に愛されているかどうかがそんなに大事かというと、もちろん大事だと思います。
母親に愛されていないと感じると、人生がハードモードになることも身をもって感じます。

母に大切にされなかった私は、ずっと生きづらさを抱えて生きていくしかないと思っていました。

だけど生きづらさの原因は、自分を否定して、人を恨んで、人を拒絶する感情だったと今では思います。

親がありのままの自分を受け入れてくれるかどうかは自分では選べないし、子供の話を聞くことができない親もいます。
だけど自分が人を愛することは自分の意思によると思うのです。

そんな簡単に人を愛せない、それはあるかもしれません。

だけど愛情不足の克服も、自分が自分らしく生きる手段も、自分自身にあると考える方が、克服に近づくのではないだろうかと私は思うのです。

親に自分の気持ちを分かってほしいと望むと、親が分かってくれないことが辛くなります。

親があんな子育てになってしまった原因を、分かろうとする方が、克服につながるのかもしれません。

愛情不足を克服したら

私は、母親の愛情を感じたから立ち直ったわけではありません。
立ち直ったら、母親の愛情を感じることができたのです。

立ち直ることが先で、母親に愛されたいとか、自分を受け入れてほしいと求めることをやめて、自分の周りにいる人の支えを実感できたとき、立ち直ることができました。

周りにいる人の支えと言っても、大袈裟なものではなく、そもそも私は友達がいるかも微妙な人間関係です。
私の助けになろうとか、私を支えようとか、そこまで私に関心がある人はいないかもしれません。

そんな感じの人間関係だけど、自分の周りにいる人を大切にしようとか、人との時間を楽しもうとか、そう思えたとき自然に生きづらさも軽減してきたような気がします。

誰だって人に支えられて生きているし、一人で生きている人なんていません。

自分は孤独だと思わないことが大切で、そのために、人に関心を向けていくのも大事です。

一人は寂しい、どんなに傷ついたとしても、誰かと繋がったら嬉しい、人を愛する心は誰にだってあると私は思います。

人を愛する心を認めたら、実際に行動しないといけないわけではありません。

人を愛することが恐くて行動できない時だってあります。
行動することよりも、自分が一人ではないと気がつくことが大事なのです。

親に愛されたかどうかよりも大事なこと、それは自分が人を愛すること、そのことを実感できたら親に愛されなかったことも自然に克服できると私は思うのです。