愛着障害の大人になったら -自分の異常さを否定すると苦しくなる-
愛着障害の大人
愛着不形成について書かれている記事を最近読みました。
幼少期の虐待などのPTSDの影響で起こる体の異変が書いていました。
その症例で私自身に心当たりがあるところがありました。
私は虐待は受けていないけれど、まともな育てられ方はしていません。
親はとんでもない育て方をしたなと感じました。
小さな頃から体に異変はありましたが、何が原因かは分かりませんでした。
普通に育てられたら、もっと違う人生があったのだろうかと思わずにはいられませんでした。
一番納得いかないのは、傷つけた親本人が何も分かっていないことです。
子供がPTSDを抱えながら生きていく事実を親は知りません。
どうして普通に育ててくれなかったのと思いました。
健全な人と接すると、自分の異常さを実感します。
私の性格は、まともではないと自分で感じます。
まともではないと感じる自分を、なんとか正常にもっていこうと、もがいています。
もちろん正常にはなれないし、異常を抱えて生きていくしかないんです。
それがとても切なくなるときもあります。
自分の状態を受け入れる
後遺症はもう元には戻らない、一生抱えて生きていくしかないんです。
色々な不自由さを感じるのですが、それでも親を許して生きるのが楽だと私は思っています。
親を恨みながら生きることほどしんどいことはないからです。
体の不調や毒親育ちの後遺症を、親のせいだと思うと、なかなか親への怒りがなくなりません。
異常を抱えながら生きていけばいい、不便だけど不幸ではない、そう思えたら少しずつ怒りも減ってくるのかもしれません。
自分の異常さを否定すると苦しくなるし、そのままの自分の状態を受け入れることは大事だと感じます。
苦しみにのまれそうになったら
愛着不形成の記事で、私が長年悩まされてきた体の症状について書かれているのを見たとき、衝撃的でした。
苦しいし、親の育て方を恨む感情もでてきました。
私は毒親育ちを克服できたと自分では思っているのですが、それでも色々なネガティブな感情が支配するときも多々あります。
私は自分の生い立ちや、自分の苦しみを、ほとんど人に話しません。
話せる人がいない、という方が正しいのかもしれません。
まあ聞きたくもないだろうしね。
だけどブログには、書けるんです。
そして誰かが見てくれます。
自分は一人ではないと感じることがどれほど重要かは身にしみて感じます。
もし苦しみにのまれそうになったら、他者のことを考える、他者の存在を感じる、それは自分の救いになると私は思っています。
立ち直るには
結局のところ、そのままの自分を受け入れることが、立ち直ることにつながるのかもしれません。
生きづらさの原因が親の育て方にあると考えると、苦しくなります。
今の自分の状態を否定しないこと大事で、そのために一人で思いつめないことが大切だと感じます。
自分の異常を正常に戻そうとすると、すごく大変で、自分の異常さを排除しようとしない方が楽なのかもしれません。
心が痛むときもあるけれど、自分は一人ではないと思えたら、自然に自分の傷が癒えていることもあります。
自分は孤独だと思わないことが大事です。
人は決して一人にはなれない、他者の存在を忘れてはいけないと感じます。
そして愛着障害による生きづらさと上手く付き合っていけばいいと私は思っています。